2012年05月22日

そこは霧と苔の島


屋久島 益救神社(やくじんじゃ)13Yakujinjya01.JPG

ひとめ見てすばらしいです。
境内は、開け放たれたような、広々とした時空間。
この清浄、この開放、この明るさ。

屋久島に到着して、なんだか引っ張られるようにして
宿にも行かずいきなり益救神社におまいりに来たのですが、
屋久島まで来てよかった!と思いましたよ。

いきなりと言えば
境内でいきなり。ヤクシカに出会いました。

11Yakujinjya02.JPG

歓迎されたようで嬉しいです。

益救神社は「式内社」です。
醍醐天皇により延喜5(905)〜延長5(927)に編纂された「延喜式神名帳」に
その名が上げられている非常に古く由緒ある神社だそうです。
だからでしょうか。
ここは、なんというか、「ヤマト」だ!と感じました。
沖縄や八重山とは明らかに土地のエネルギーが違うのです。
あのへんは「琉球」なのでしょうね。でも屋久島は「ヤマト」
ヤマトの南の果ての島。
 
到着日の天候は曇りときどき雨。
強い湿気で重く感じられる空気のなかに
えもいわれぬ芳香が。
10Sendan.JPG

これは「栴檀(せんだん)」の木だそうです。
益救神社の栴檀、満開でした。白に少し紫がはいった小さな花が
枝いっぱいに咲いています。
花は地味ですがSendan-hana.bmp
なんともいえないすばらしい香りです。

10Yakuinjya04.JPG


益救神社のご祭神は、天津日高彦火火出見尊(山幸彦)です。
屋久島には「海幸山幸神話」にちなんだ場所や伝説が多いそうです。

11Yakujinjya03.JPG

掖玖島(屋久島)が竜宮であるとして、「一品宝珠大権現」とも。

神社の境内がすでにこんななので
14Yakujinjya06.JPG

もう屋久島っぽい!です。気分が盛り上がります。
益救神社は、益々救ってくださる「救いの宮」だそうです。
明日からのトレッキングの無事と良い天候をお祈りしました。

      9Yakujinjya.JPG

翌日は曇りながらもときどき薄日の射す天候。
天気予報では「雨」だったのでホッとしました。
益救神社の神様、ありがとうございます!
でも屋久島は天候が変わりやすいので雨具は絶対必需品です。

1日目は「白谷雲水境トレッキングツアー」
通称もののけの森ツアー。全行程5〜6時間。

透き通った清流を渡って11Unsuikyou01.JPG


ちょと歩いただけでこんな!
14Unsuikyou02.JPG



こんな!
12Unsuikyou03.JPG



こんなだよ!凄いよ!
11Unsuikyou04.JPG


霧も漂い幽玄な太古の森の雰囲気。


私たち白谷雲水峡のガイドさんは女性の方で、屋久島にほれ抜いて移住を決意、
ひとりでこちらへ移ってこられたという
とても純粋な印象の気配り細やかなすばらしいガイドさんでした。
友達は「ヤクシカの妖精みたい!」と言ってましたよ。


とにかく苔には絶対さわるなと。厳重注意です。
苔と霧は屋久島の命だそうです。
実にいろいろな種類の苔があって感動しました。9Unsuikyou.JPG

                 9Unsuikyou02.JPG


周囲は全て霧と苔と大樹。

 苔がにおいたちます。
そしてさまざまな水の匂い。
霧の匂い、流れる水の匂い、苔の先からしたたってゆく雫の匂い。

    13Unsuikyou01.JPG

 土の匂い。倒れても腐らないほどの杉の樹脂の匂い。

屋久島の杉は樹脂が多くて倒れても腐らないそうです。
湿気が多いので倒木の上にみっしりと苔が生え、
豊かな苔の重なりが土となって
次の若木をはぐくみます。
屋久島の森はそうやって何千年も代を重ねてきたのですね。

11Unsuikyou06.JPG
 

12Unsyuikyou07.JPG


12Unsyuikyou06.JPG

ヤクシカ。白谷雲水峡でもたくさん見かけました。
でも、シカ見るとテンションがあがりすぎて、写真上手く撮れません(笑)
写真、おおかたブレてます・・・(^−^;)
本土の鹿より小さくて可愛いです。バンビみたい。
10Yakushika01.JPG


早朝から歩いてお昼を食べて
「白谷雲水境ツアー」の目玉、太鼓岩に到着。
Taikoiwa.JPG
でも残念ながら、霧が深く、岩にたっても周囲は真っ白、何も見えません。
晴れていれば絶景だそうなのですが、残念。
まあ、マタ来いヨ!ということかも。ね。

ここで太鼓岩の下に突き出した岩棚のようなところに行って
(上の写真の人がいるところ)
上から見下ろし写真をとってもらおうと思ったのですが
実際行ってみたら、岩の面がかなり斜めにきれ落ちていて
かなり恐ろしく、戻ろう!としたら
どこかのふざけた若い男性ガイドが「怖くないよ~ん」と叫びながら
突進してきて、その勢いに服がひっかかって、マジ落ちるかと思いました。
私は高いところもそれほど怖くはないのですが
あのときは生まれて初めてというほどホントに怖かったです。
その男性もお金をとっているプロのガイドのようでしたが、
その後も足をすべらせそうになっているお客さんに
「すべると思うから落ちるんだよ!すべらないと思えば全然平気!」
と言い放って無理やり先を急がせていたりしていました。

ガイドさんも当たりはずれがありますね!
私たちは「ヤクシカの妖精」さんで本当に良かったです。
藤江昌代さんというガイドさんでした。
(名前を出す許可ありがとうございました。)
旅行会社のツアーですとガイドは会社が手配するのでだめなんですが
個人で行かれる方でしたら、藤江さんをぜひ!おすすめさせていただきます!
↓ここからどうぞ
「屋久島ガイド名鑑 屋久島の豊かな自然に誘う生き物の案内人たち」
藤江さんのブログはこちら 
「屋久島☆自然感察日記」
 http://ameblo.jp/kansa-2/


帰り道。山々の間から靄がもうもうとたちのぼっていました。
そして向こうにかすかに海が。
      11Unsuikyou05.JPG


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2012年05月11日

不動ヶ丘の花遍路


13Takahatafudou.JPG

やってきました高幡不動。
時期は4月の初め。今年は寒さが長引いたので
まだ東京郊外では桜が咲いておりません。

今回の目的は、15TakahataDaishi.JPG


弘法大師のご加護が欲しくてやってきました。
四国八十八箇所はなかなか行かれませんが
東京都の西の郊外、高幡不動の「山中八十八箇所」なら御参りできます。

高幡不動は桜こそまだでしたが、
春をまちかねたように、花々がそこかしこに開いていました。

境内のしだれ梅 10TakahataShidareume.JPG
      08TakahataHana02.JPG
            

       08TahkahataHana.JPG 紅梅もあり。




山中八十八箇所はこんな感じです。
  15Hatijyuuhati01.JPG

ひとつひとつに手をあわせて、山中の小道をたどります。
「南無大師金剛遍照(なむだいしこんごうへんじょう)」
お大師さまのご宝号です。

唱えるご宝号が足元にこぼれれて
山野草が花開く08TakahataHana05.JPG

高幡不動の境内にあるこの山は、昔は高幡城があったところだそうで
昔の馬場なども残っています。
今は「不動ヶ丘」と言うそうです。

椿が満開でした。10TakahataHatijyuhati03.JPG




  10TakahataHatijyuhati04.JPG 

 


お大師様を花で飾ってありました。 10TakahataHatijyuhati02.JPG



不動ヶ丘は不思議なほどに静かな場所でした。
すぐそばに大きな道路が通り、鉄道の駅も近いのに
なぜだかしーんとしています。

何百年か時代をさかのぼって
どこかの山の中をのんびり歩いているような。
穏やかな田舎のムードが漂っています。


ミツマタです。和紙の原料。
こんな花が咲くんですね。

12TakahataHana01.JPG

             TakahataMitumata.bmp


これは桜?でも違うよね・・・
10TakahataHana03.JPG


馬酔木の花。08TakahataHana04.JPG

    ヒイラギかしら?10TakahataHana06.JPG




先ごろから建て直しをしていた
境内の大師堂が完成していました。
新しくてピカピカ TakahataFdoudou.bmp
お大師様の像も 8TakahataDaishizou.JPG


不動ヶ丘から高幡不動駅方面をのぞむ。
12Takahatahuukei.JPG


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2012年03月29日

弘法大師がやって来るYa!Ya!Ya!


もうすいぶん前に知り合いから聞いた話なのですが、
(知り合いは仮にRさんとしましょう。)
Rさんは、ポンポンと軽く言うことが
かなりの確率であたるという勘の鋭い方でした。

Rさんの家はご両親との3人家族だったそうですが、
お母様は病気がちで、ずっと入退院を繰り返していたそうです。
病気の原因は不明。
しばらく元気だったかと思うと突然体調が悪くなるので
Rさんは子供の頃から何度も救急車を呼んで
お母様を病院にかつぎこんだそうです。

お母様と言う方は、Rさんよりも「ずっと勘の良い」方だそうで
例えば、誰かの名前を聞いただけで
全く知らない人なのに、人柄、経歴、家庭環境など
ほぼ100%当てていたそうです。
霊も普通に見えて会話をしたり、
ときどきは、いついつ何が起きる、と予言めいたことを言う。
またそれが当たる。

そんなお母様は、Rさんを生んだ頃から
「カミ」に呼ばれるようになったそうです。
それも、いくつもの神から。

その神々はお母様に、(もう長いので仮にSさんと呼びます。)
自分に仕えて拠代(ヨリシロ)を勤めよ、と
そろって同じことを言うのだそうです。
修行して我が巫女になれ、ということですね。

カミがスカウトしに来た、という感じだった、
とRさんは言ってました。
神々はそれぞれ、優秀な巫女、になれそうな人材を
探しているらしいです。

でも、Sさんは、巫女というか、そういう霊能力者には
なりたくなかったので、お断りし続けていたそうです。
そういう霊能力者って、(本物は、ですけど)
家族とともに普通の生活、とかできないですからね。
それがわかっていて嫌だったんだと言う話でした。

ところが「カミ」をお断りすると、病気にされてしまうのだそうです。
(良く聞く話です)
霊能力者は「貧病争」と言いますから。
おおかたの人は、これに耐え切れず
「カミ」を受け入れて霊能力者として修行するようになるのですが
Sさんは、きっぱりイヤだと言い続けたそうです。
そしてずっと、病院では直らない病気に苦しんでいたのです。

Rさんが高校生くらい頃、Sさんの体調はいよいよ悪化し
もう起き上がれないくらいになって
家族ももうだめかもしれないと思っていたそうですが
そんなとき、Sさんの夢に一人の僧が現れたそうです。

image03.jpg

旅姿の僧をみて、Sさんは「弘法大師だ」と思ったそうです。

その僧は、Sさんに向かって
「どうしてもこの道を行きたくはないのか?」
と聞いたそうです。
Sさんが「どうしても嫌なのです」と答えたら
「では、わたしが何とかしてあげましょう。」
と言って消えたそうです。

それからSさんは少しずつ快方に向かい
今ではすっかり元気になっているそうです。
それとともに「カミ」の声を聞かなくなり、
勘のほうも、かなり鈍ったとのことですが。


高野山奥の院25.JPG

高野山・奥の院への橋

12世紀、琳賢という僧侶が書いた
「不閑日々之影向 検知処々遺跡」
という対聯が今も高野山の大門、主柱にかかっています。
「日々出て影向を欠かさず、処処の遺跡を検知す」
と読むそうですが、簡単に言うと
弘法大師は、毎日毎日、ご縁のあるいろいろなところを廻って
人々を助けています、という意味です。

Rさんの話を聞いたときは、この話を知らなかったので
何でそこに弘法大師が?とも思ったりしたのですが。

この現代においても
お大師様は困っている人々を救うために
あちらこちらと日々廻っていらっしゃるのだと思います。

私たちひとりひとりが、
お大師様と廻り合うときが
それぞれあるのかも。しれませんね。




「虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば 我が願いも尽きなん」

50空と海.JPG

空と海、とは。凄い名前だなあ、といつも思います。




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2012年02月21日

君は狼を見たか 「見狼記」


先週ずっと沖縄に出張してたのですが
衝撃的ともいえるような霊的な出来事があって
なんかもう。アタマの中が沖縄のまま戻ってきたのです。

沖縄のことも書こうと思っているのですが
まだちょっと自分の中で整理できていないことが多くて
も少し先になるかもしれません。

関東に戻ってきてからもなんとなく感覚が変なので
神ダーリとかになっちゃったら嫌だなあ、と思っていたのですが
ちょうど帰ってきた日の夜、
秩父のオオカミ神「大口真神」についてのTV番組が放映されて
一気にこちらに引き戻されましたよ。
こんな時に、ピンポイントでこういう放映があるとは。
たまたまの巡り会わせかもしれませんが、
おもしろいものですね。

kenrouki80.JPG

NHK・Eテレ「ETV特集 見狼記〜神獣 ニホンオオカミ〜」
放送日 2012年2月19日(日)22時〜22時59分
NHKオンデマンドにて3月14日まで配信中
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2012035752SC000/index.html


ニホンオオカミは明治38年に奈良県で
最後の個体が撲殺され、絶滅したと言われています。
(他説もあり)
私はこのオオカミ絶滅の話をすると
なんとも言えない、とても悲しい気持ちになるので
あまり詳しくは書かないことにしますが・・・

この番組は、秩父の山中で、
その絶滅したオオカミの遠吠えを聞き、目撃し、写真を撮影された、
秩父宮記念三峯山博物館の客員研究員、八木氏の
ニホンオオカミを探し続ける活動を主体に、
現在も生きる各地のオオカミ信仰について取材したものでした。

ブログ「ニホンオオカミを探す会の井戸端会議」
「ニホンオオカミ概論としての「見狼記」」


八木さんは、自分が死んだら、秩父の山に土葬にしてほしい、と仰っていました。
オオカミに食べてほしいそうです。
(この感覚はすごくよくわかります。涙ぐみながらうなづいてしまいました。)

gazou.jpg

(八木研究員の撮影したニホンオオカミらしき動物)


ニホンオオカミという動物への愛なのか。
神の眷属としてのオオカミ、大口真神への愛なのか。
混じりあい混沌とした激しいもの。


秩父にはオオカミ神社は多いですが、
オオカミの神像の多さでは三峰神社に次ぐと言われている
釜山神社の宮司さんは78歳。
いまでも険しい山道を重い供物を背負って、
よろめき、あえぎながら登り、毎月毎月と神事を執り行っておられます。
確かに大変危ういのです。足をすべらせたら大変なことになるでしょう。
でも、霊的にはそれで良いのだと思うのです。
きっと魂の底からの満足感があると思うのです。


カミへの愛というのは、なんというか
狂気のようなものだと思います。

私、自分を省みてもそう思います。
何なのでしょうかね、この胸の底からわきあがる
激しいものは・・・・

竈山神社の宮司さんもやはりニホンオオカミを一目見てみたい
とつぶやくように仰っておられました。
「もし見られるとしても一生に一度とか、そんなもんだろう」
私は見られると思います。
カミはその愛と信仰に、必ず報いてくださるからです。


多くの人々が山中でオオカミの遠吠えを聞いています。
人の虚をつくように姿を現すこともあります。
ああ、本当に、
ニホンオオカミが生き残っていてくれていたら
どんなに嬉しいかと思います。


そして
物質が波動でできているものであるなら
ニホンオオカミに祈る人々の祈念が強く、もっともっと強くなれば
あるとき、月の光に照らされても、なお暗い秩父の山の、青い闇にまぎれて
一対のオオカミがふっと現れ、走り出すのではないか
そしてその霧と闇の底から、復活の遠吠えを響かせるのではないかと
思ってみたりもするのです。


diary0905101.jpg





posted by るちる at 11:48| Comment(4) | TrackBack(0) | 柴犬書房 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月31日

龍之口七面堂


龍口寺七面堂

15七面堂.JPG
                      
                         10龍石2011.JPG

龍口寺御本堂の左側へまわって急な石段をすこし登ると、七面堂があります。
ここは、すばらしい!なんとも言えず気持ちよいです。

「気持ちよさ」が細かい細かい粒になって
石段の下のあたりまで
霧のように広がっている感じです。

霧の中を歩いていると、
微かな微かな水滴が、髪や衣服のうえで
砕いた水晶の粒をまきちらしたように
きらきらとしていることがありますよね。


             霧と水滴イメージ.JPG

ここの七面天女さまのエネルギーはそんな感じなのです。



龍口寺の扁額
13扁額.JPG

「龍の口」という地名について考えてみると
ここは「五頭龍」が変じた山塊の海に向かって延びて
突き出している部分です。
「口」というのは、エネルギーの出入口です。

この湘南の地について言えば、
この五頭龍の山の東側に沿って流れているのが境川。
ここより北方、高尾山のあたりを源流とし、
ほぼ南に流れ下ってくる川です。

私はこの龍之口は、大地や山のエネルギーが海に注ぐところではないか?
と考えています。
エネルギーは境川の流れに乗って、相模湾へと下っていくのです。

そして、鎌倉時代、刑場がここにつくられたのも、
このためではないかと思っています。

この「龍之口」みたいなものは、
このブログを読んでくださってる皆さんのご自宅にもありますね。
もっと小さなものなので「龍」ではなくて「蛇」。
・・・「蛇口」といわれていますが。

私たちが、蛇口から水を流しながら洗物をするように、
このエネルギーの流れによって、死の穢れ、刑死者の怨念を
海へと流して、鎌倉に害をなさないようにするために。


今回私たちは、境川のもうひとつの源流、柏尾川に沿うように
大船駅からやってきましたので、
このまま止まって帰ってはいけないのではないかと思いました。
やはりここは海まで進んで、浄化を完遂させたほうが、良いような気がします。


というわけで、江の島まで行ってみることにしました。

その前にお昼を食べますよ。

「舟善」
地元で有名な地魚料理のおいしい店。
湘南名物シラスなどもありますが、実はそれ以外のほうがオススメ。
焼き魚定食でイシダイを頼んでみました。

10焼魚定食.JPG

なんかもうむっちゃおいしかったです。
でも骨多かった〜(>_<)


龍口寺に隣接して、
龍口明神の旧社がそのまま残っています。
門が閉まっているので、社殿までは入れないのですが
外から手をあわせました。

14旧龍口社1.JPG


                    12旧龍口社3.JPG

14旧龍口社2.JPG

そして江の島へ。

10江の島へ1201.JPG

海に出ると、ぱぁーっと視野がひろがって
深呼吸したくなります。
かなり曇っていましたが、江の島への長い長い橋から
富士山がぼんやりみえました。
(写真にとったら何だかわからなかったですけど)

海の上を行くこの長い橋を歩いていると
頭と胸が、洗われているように気持ちよいです。

10江の島龍.JPG

午後3時ちかく。
風が冷たくなってきました。
江島神社の辺津宮にだけお参りして帰ることに。

お茶でも飲んで帰ろうと、湘南モノレール江ノ島駅近くの
ケーキ屋さん&喫茶店
(「カフェ」ではないのだ。良い意味でクラシックな喫茶店)
「ラ・プラージュ・マイアミ」へ
             ラプラージュ.jpg

ここは湘南名物「江ノ電サブレ」のお店です。
ケーキおいしかったです!正統派という感じでした。
ロールケーキの小さいのをお土産に買いましたが
あまりにおいしかったので、・・・大きいのにすれば良かった!
ちゃんと甘い。しかも甘すぎない。丁寧に作ってるなあ。
こういう喫茶店も少なくなってしまいましたね。


さて、七面様のお答えは帰り道に?


10レシート1201.JPG

これね、値段を計算して頼んだわけじゃないんですよ!
すごくびっくりしました。
でも、喜んで写真を撮っていたら
お店の方にかな〜り不審に思われたようでしたよ(^ー^;)


皆々様におかれましては
良い一年となりますように。
昨年の大震災、台風の被災地にも
復興の希望がともる一年でありますように。

平成24年辰年。















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2012年01月24日

月のごとく光りたるもの


湘南モノレール江の島駅から徒歩2分。

日蓮宗霊跡本山 寂光山龍口寺
14龍口寺.JPG


骨董市が開かれていて
境内ところせましと、骨董品が並べられていました。
             
            10骨董市1201.JPG


これは龍口寺の入り口、山門前です。
龍口刑場跡.bmp

骨董市でよく見えませんが
後方に並ぶ碑、これが「龍の口刑場跡」の碑です。
この山門前あたりから、少し東に流れている境川の河原あたりまでが
鎌倉時代、龍の口刑場だったようです。

寂光山龍口寺は、日蓮聖人の「龍の口法難」の場に、
1337年に建立されたものです。

鎌倉時代、日本は内乱や大震災・飢餓疫病の蔓延など、
悲惨な状況にありました。
日蓮上人は、法華経を中心とすれば(「立正」)
国家も国民も安泰となる(「安国」)と
主張する「立正安国論」を幕府に奏上。
幕府はそれを政策への中傷、「貞永式目」の「悪口の咎」であるとし、
文永八年(1271)九月十二日、鎌倉松葉ヶ谷の草庵で説法中の日蓮上人を
市中引き回しの上、この龍の口の刑場に連行しました。

しかし、評定を経ず刑場に連行した為、幕閣からも異議が出され、
幕府は夜半に至り辰ノ口へ処刑中止の使者を送ったそうです。
刑場では評定の決定を待たず、九月十三日の子丑刻(午前二時頃)、
日蓮上人を引き出し、敷皮石に座らせ、斬首の準備を整えた、
その瞬間、
江の島の方から満月のような光りものが飛び来たり、
混乱の中、使者が到着し斬首の刑は中止。


境内の「御霊窟」08ご霊窟1201.JPG
日蓮上人が牢がわりに入れられていた窟だそうです。

日蓮上人本人が「種種御振舞御書」(建治2)で書き残すには、

  江のしまのかたより 月のごとくひかりたる物 
  まりのやうにて 辰巳のかたより戌亥のかたへ ひかりわたる、
  十二日の夜の あけぐれ人の面もみへざりしが 
  物のひかり月よのやうにて 人人の面もみなみゆ、

  太刀取目くらみたふれ臥し 兵共おぢ怖れけうさめて 一町計りはせのき、
  或は馬よりをりてかしこまり 或は馬の上にてうずくまれるもあり、
  
  日蓮申すやう いかにとのばら かかる大禍ある召人にはとをのくぞ
  近く打ちよれや打ちよれやと
  たかだかとよばわれども いそぎよる人もなし、

  さてよあけばいかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし
  夜明けなば みぐるしかりなんとすすめしかども
  とかくのへんじもなし。


(字間のスペースはこちらで入れました)

月のように光る、毬のようなもの。って何のかは
彗星説からUFO説までいろいろ言われているんですが
「人の面もみへざりし」ような真っ暗闇のなかに
いきなりそんなものが流れたらそれは驚きますよね。

ちなみに文永8年9月13日をグレゴリウス暦に変換すると1271年10月25日、
この日の午前2時で計算すると月齢は19.74なので
たぶん曇っていて月がでていない夜だったのでしょう。

私がちょっと気になるのは
「江のしまのかたより」「辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる」
っていうところですね。

龍口寺と江の島を地図でみると


大きな地図で見る

という位置関係になりますので、
辰口刑場から江の島は辰巳(東南)方向にはないのです。

60十二支方位図.JPG

むしろ未申(西南)の方向にあると思うのですが・・・
なぜ辰巳(東南)方向だと書いてあるのか不思議です。

辰巳(巽)というのは縁起の良い方位ですが
未申(坤)というのは裏鬼門だから、わざと変えてあるとか?
それくらいしか思いつかないのですが。。


龍口寺の五重塔。美しいです。

08五重塔1201.JPG


山頂の仏舎利塔。ここだけ印度っぽいです。08仏舎利塔1201.JPG


        08水仙1201.JPG

寒かったですが
境内にはもう水仙が咲いていました。


つづく。。




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2012年01月17日

恋する五頭龍


去年の暮れのこと。どこに初詣に行こうか?
と思ったとき、の関係するところに行きたい!(辰年だけに!)
そして方向は南!
という感じが強くしたので、南方面で日帰りできる龍と関係の深い寺社を探してみました。

現在は横浜在住なので、そのまま南下すると鎌倉方面。
「龍口寺」というお寺がヒットしました。
こちらは正式には「日蓮宗 霊跡本山 寂光山龍口寺」。
本堂の背後の山には七面天女をおまつりしてあるとのこと。

ここだ!ここに行こう!
とか思っていたのだけど
お正月に思った以上にだらだらしてしまって
人・人・人混みに揉まれる初詣に行く気がしなくなり
ヘタレたまま1月3日に地元の氏神神社に出かけました。
お参りをすませて、まだ後ろに並んでいる列をさけて
脇出口からひょいと出たら

10ポスター.JPG

いきなりポスターが貼ってあった。

これは・・・これは行かないと〜(^^;)

と思ったら友人から急に連絡が来たので
これはこの人も連れて行けってことかも?
というわけで「鎌倉方面に七面様と龍神を尋ねてツアー」に
参加しません?とお誘いして
松の内ぎりぎり。行ってきました。


JR大船駅から湘南モノレールに乗りますよ。

懸垂式(上から吊り下げられている)モノレールなので、
左右に独特の揺れがあります。
湘南モノレールはフランスから導入されたサフェージュ (SAFEGE) 式。

13モノレール.JPG

一番先頭車両の一番前に乗って、道路を見下ろすのがオススメ。
真下を走る自動車や、引っかかりそうでドキドキする電線や街灯などで
それは不思議で愉快な気持ちになります。
トンネルに入るときもなかなか楽しいです。



西鎌倉駅で降りて、龍口明神社へ。


13明神社.JPG

                     08手水龍.JPG


龍口明神社は宣化3(AD538)の創建。鎌倉で最も古い神社。
もう少し南へ行くと湘南海岸の江の島がありますが
ここは江の島の創成を語る「江島縁起」にも出てくる神社なのです。

「龍口明神社由来」に曰く
・・・五頭龍明神のご由緒は、
欽明天皇十三年四月十二日戌の刻より
二十三日辰の刻に至る迄大震動して終日息ず
即ち孤島を湧出した 此を江の島と云い天女降む 
是辨天女の作るところなり
天女悪龍の悪業を戒めた 龍は遥かに天女の麗質を見 
其の後改心し村人に害を与えることなく山と化した・・・


天女に恋する五頭龍の伝説についてはこちら↓
http://www.enoshimajinja.or.jp/enoshima_engi/enoshima-engi01.html

なんだか可哀想だよ五頭龍。。(>_<)
(それにしても絵柄が女性ゴシップ週刊誌の漫画みたいですね・・・)


というわけで、龍口明神社と江島神社は夫婦の神社だそうです。
六十年に一回の「巳年式年大祭」の日、
龍口明神社から五頭龍のご神体をお神輿で江の島へ運びます。
妻である弁財天女様と会うことができるのですね。


江の島神社辺津宮への参道の両脇の「江の島灯篭」
天女と五頭龍
江の島灯篭.jpg



龍口明神社は、新しくて綺麗な社殿でした。
昭和53年(1978年)に現在の地に移転したもので、
以前は龍口(たつのくち)と呼ばれる場所に建っていました。
現在の社殿の所在地は、山になってしまったという龍の
「龍の胴」にあたるところだそうです。

龍口明神社ご神木(楠木)
12龍口樹.JPG

龍口明神社福守 P1000081.JPG

金色の五頭龍のお守り。
これは良いなあ、と思って買いましたよ。

そしてこれからまたモノレールに乗って
龍口(たつのくち)に向かいます。


(つづく)










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2011年12月19日

ゆず、という答え


S山奥の院 朝陽の影嚮石(ようごうせき)
9YouGou.JPG

私の写真ではいまいち表現できていませんが
本当に清らかな、そばにいるだけでキラキラする水に洗われてしまうような
そんな朝の影嚮石なのです。



ご神木イチイの周辺も晩秋の景色。
12Ichiinomae.JPG

このあたりは、何度行ってもあきらかに空気が違います。
初めて行った友人もそう言ってましたので、やっぱりそうなんだわ〜ぴかぴか(新しい)って思いました。




敬槇院も晩秋。
12Keishinn.JPG


敬槇院の庭の小さなイチイには
真っ赤な実 09Ichiinomi.JPG



一の池にも行ってみる。
10Ikenomon.JPG

12IkeAki.JPG

まるで翡翠を磨いて埋め込んだような水面。
後方の山や木々を、鏡のように映しこんでいました。





富士見台では雲中富士を眺め
12KumonoFuji.JPG

急いで降りてきました。
もう帰りのバスまであまり時間がないので
タクシーでそのまま「身延温泉」へ向かいます。



身延温泉ホテルです。minobu1.jpg
ホテルというか旅館という感じでした。
ちゅうと半端な夕方の時間だったにもかかわらず
暖かく迎えてもらって、うれしかったです。
湯船はほとんどフタがされていて、自分の入るところだけ
フタを空けて入りました。
「源泉」というのを飲んでみると、少し塩っぽい感じでしたね。

食堂は畳敷きでくつろげました。
ご主人が、部屋にかかっている写真などをいろいろ説明してくれました。
久遠寺に係わるものが多いんですね。
なんだか、だんだん親戚の家にいるような気分になってきた。笑。

家宝「白狐」の石だそうです。06Kahou.JPG

本当に白い狐に見えますね!
白狐の頭のほうに「女の子」も見えるそうです。
全身像なのか?顔だけなのかしら?
顔だけだとしたらクトゥルーちゃんに似てる?

身延温泉の「ほうとう」
鍋にたっぷりですが、全部食べてしまいました。
おいしかったです。家庭的な味わいでした。

X25Houtou.JPG



そしておみやげにゆずをもらいましたよ!05Yuzu.JPG

いい匂いでした〜

S山に登る人への七面様のお答えは
帰り道でもらえる、と聞かされたことがあります。
ゆずってどんな答えなのかしら?(>ー<)
でも友人が、そして私も、ともに実り多き人生を
歩んでいけると良いなあ、と思いました。



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2011年12月09日

闇中の光。そして軽トラ


去年の秋にS山に登って、
怪我をして病院にかつぎこまれ
その後すぐガンがみつかって即入院・手術
という信じられないような展開がありましたが
無事に退院してそろそろ1年、無事に暮らしております。
ありがたいことです。
以前の記事「777」など参照
3月に御礼参拝をしようと考えていたら、あの大地震が起こり・・・

11月、やっとS山に登ってきました。

よく聞くのですが、あの兄弟で横綱になった力士一家。
まだ幕内だった頃、横綱への願をかけてS山に登ったそうです。
そしてめでたく二人とも横綱になれたわけですが、
この人達、それっきりでS山に御礼に行かなかったそうです。
その後のこの一家がどうなったか?という話。

まあ、別に私は、
なにかあるのが怖くて行くわけではないですが。
感謝の気持ちをお伝えしたいとゆうのは、
ごく当たり前のことだと思うだけです。


今回は、S山がはじめての友人と一緒に登りました。
お天気もよさそうだし、何の問題もないよね〜
と思っていたら。なんと身延線が不通。
(秋の台風被害で11月中旬までは身延駅のあたりが不通区間だった。)

それなら、新宿まで電車で出て高速バスだ!と
すばやく切り替えて出発前日にバスの座席をゲット。
交通費お安くなったし。かえってヨカッタかも。
と思いながらバスに乗り込んだら、八王子で事故渋滞。
土曜日だったのであるていどの渋滞は覚悟していたけれど
これはひどい!
お天気だけはとっても良くて
バスの窓から見る青空に白い雪を頂いた富士山がくっきりと美しい。
・・・美しいけどいつまでたっても近づいてきません。

・・・かなりあせってきました。



表参道の登り口
10Tozanguti.JPG
この時点ですでに13時をかなりまわっていました。
この季節だと、たぶん16時をまわるとだんだん暗くなってくるよ・・急がなくちゃ!

S山はもうすっかり晩秋の景色。
10晩秋.JPG

さあ、急がなくてはいけない!
のはわかってるのに〜
肝心坊が開いているとどうしても食べたくなる、ところてん(黒蜜がけ)
08Kuzukiri.JPG
うわーおいしかったですわーい(嬉しい顔)
・・・だめじゃんもうやだ〜(悲しい顔)

登り始めると、宗教団体らしき方々が
何度も上り下りしているので不思議に思っていると
上から、若い男性を担架にのせて降ろしてくるのに出会いました。
あの山道で担架を水平に保ちつつ下るのは大変そうでした。
後で聞いたことによると、
担架に乗せられていた方は、登る途中で
全身痙攣を起こしてしまったそうです。
気圧が違うので、思いがけず体調を崩す方もいるんですよ。
という話でした。

さて、今回はワタシ基準では、
かなりがんばって無理して登っていたのですが、
山門に到着する何丁か前でもうすっかり暗くなってしまいました。
一緒だった友人に申し訳なくて泣きそうでした。
はじめての山道で真っ暗になっちゃったら
不安なんてものじゃないでしょうし。
私にもっと体力があれば〜・・・ほんとにごめんなさいです。

おまけにヘッドランプもわざわざ置いてきちゃうし。
これは買ってから10年くらい。ですが1度も使ったことないので、
つい置いてきちゃったんですよ〜
ものすごい反省しました。
もう次回から使わなくても絶対!持って行きます。

真っ暗な道を、友人のヘッドランプの明りだけを頼りに
もお、ぜえぜえ言いながら必死に登っていると
(友人はぜんぜん平気そうでした。余計申し訳ない。)
前方に、なんとなく光が見えるような気がしました。
「気のせいかな?」「狐だったりして」「ここでそれはナイよ〜」
「あっでも本当に光!」「光だ!本当だ光だ!なんだろう?」

その光は懐中電灯の光でした!
七面山奥の院に参篭予約をしたのですが
なかなか到着しないし、携帯電話もつながらない
(S山は場所と会社によっては全然つながりません)
私たちを心配して迎えに来てくださったのです!
(その日の予約は私たち2人だけだったそうです。。)

暗闇のなかの光ってなんて素晴らしいのでしょう。
迎えのお坊さんが仏様のように見えました。
ほんとにありがとうございます。

しかも山門から軽トラックで奥の院まで送っていただきました!
七面山で車に乗る。なんてことが、
あるとは思ってもみませんでしたよ!

さっきまでは暗い山道をトボトボ登っていたのに
いきなり軽トラに乗ってびゅーんと奥の院まで行けることになり
すっかりハイになった私たちは荷台で
(軽トラ2人乗りなので。1人は座席に乗れる勘定ですが
 お互い遠慮しまくったあげく2人とも荷台で。
 公道じゃないので交通法規は大丈夫でしょう。)
ラッキー!はしゃぎまくりました。

軽トラの荷台から07Nidai.JPG
もう真っ暗です。
でも奥の院に到着したらまだ17時台でした。


翌朝は晴れて、何年ぶりかでご来光を拝むことができました。

まっくらですが、かすかにオレンジ色がにじんできました。
09Hinode1.JPG

明るくなってくると雲も切れ始めました。
富士山も頭だけ見えるように。
10Hinode2.JPG

風が吹き始めました。細い雲が長々とのびています。
10Hinode3.JPG

雲が吹き飛ばされて富士山がよく見えるように!
10Hinode4.JPG

ご来光!!
登ってくる光がまるで吹き上がる炎の噴水のように見えました。
12Hinode5.JPG




おまけ
朝日を浴びて輝く軽トラック。
感謝。感謝。07Keitora.JPG



posted by るちる at 18:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 七面山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

「忘れられた日本人」

12TaketomiS.JPG

竹富島・屋根の上のシーサー。
家の守りとして各戸の赤瓦屋根の上に載っています。

12TaketomiM.JPG

白しっくいで固めた赤瓦をのせた伝統的な民家と白い珊瑚石灰岩の石垣の間を
水牛車がゆっくり、ゆっくりと進んでいきます。
海岸の珊瑚砂を敷き詰めた道は、月の光を浴びて
ぼぅっと白く輝くそうです。

6TaketomiU.JPG

今回の出張では、いろいろな資料室にいって
資料を探したりコピーをとったり撮影したり、で
長い時間を過ごしました。
ぶらっと地元の方が入ってきて、資料室の方と雑談していったりするのを
片隅で聞くとも無く聞いていたりしたのですが、
おもしろかった話がありました。

             07TaketomiKuruma.JPG
             竹富島の水牛車は、由布島に比べると大きいです。


八重山にお住まいのご年配の男性の話。

その方のお父さんは、たいへん女性にもてるひとで、
とても腕の立つ、伝統的な家作りに精通した大工さんだったそうです。

伝統的な家(写真のような)を建てよう、というときにはいつも呼ばれるので、
八重山に点在する島々に、そのたびに滞在して仕事をしていたそうです。
そして、これもそのたびに、「ねんごろ」になる女性ができるので、
とうとう、八重山諸島の島一つに付き妻が一人、という
大家族になってしまったそうです。

その方はお母さんと弟さんとで別の島のひとつに住んでいたそうです。
本妻さんは石垣島で子供は6人いたそうですよ。

兄弟姉妹の総勢は、お父さんが認知しているだけで26人。
(認知していない子も複数いた(つまり相手が人妻だった)そうですが・・・笑。)
当時はまだ人頭税(琉球王国が、宮古・八重山地方へかけた税。
人ひとりあたりいくら、という重税であった。
琉球王国滅亡後も明治36年まで存続し、人々を苦しめ続けた。)
があったので、いくら稼ぎのよい大工でも生活は大変だったそうです。

兄弟がいっぱい居すぎて顔が覚えられないし
そこらじゅう親戚だらけだ。
と淡々と語られていました。

09TaketomiUshi01.bmp
竹富島は川や池がないので、水牛たちの身体を冷やすために
(水牛は汗腺がないので、体温を水で下げないと死んでしまうのです)
パラソルとスプリンクラーが設置。


         07Houounoki02.JPG
         石垣島のホウオウボク

この話を聞いていて、わたしは、
宮本常一氏の「忘れられた日本人」を思い出しましたよ。
宮本氏は高名な民俗学者で
戦前から高度成長期まで日本各地をフィールドワークし続け
(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)膨大な記録を残しました。
「忘れられた日本人」もそのドキュメンタリーの一冊なのですが、
このなかに、有名な「土佐源氏」という一篇があります。

土佐の国のとある橋の下に住み着いている盲目の乞食、槌造が
自分の一生をふりかえる、という聞き取りの記録です。
まあ、ほとんど女性関係の話なのですが。(だから「源氏」なのだ)
この話が、おおらかというか、昔の人はこんな感覚だったのか、
と驚くような話です。

学生時代にいちど民俗学の先生に言われて読んでみたのですが
そのときは、正直いって「ナンジャコラ!怒。」と思ったのです。
こうして年齢を重ねて読み返してみると
読みながらなんともいえない切ない気持ちになり、
涙がとまりませんでした。

生をつかのま、或いは永遠に(これは同じ意味なのですが)
輝かしいものにする、人を愛する喜び、心の優しさ、性と
そして背中あわせに存在する死。

あこがれ続けた最愛の女性をつかの間に失って
葬儀に参列することもできず
遠くからその荼毘の煙を見て滂沱の涙を流す槌造。


・・・あんたも女をかもうたことがありなさるじゃろう。
女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが
男は女の気持ちになってかわいがる者はめったにないけえのう。
とにかく女だけはいたわってあげなされ。・・・


・・・槌造、さすが。モテるはずですよ。もうやだ〜(悲しい顔)


このほかにも「忘れられた日本人」には、
西日本各地のさまざまな人々から聞き取った話が集められています。
特に土佐山中で出会ったハンセン病者から聞いた
ハンセン病者だけが通る道がある、という話はすごいですね。

宮本氏の独特の情緒を伝える文章は
ともに歩き、人々と語らい、失われかけている日本のかけらを
集めて廻っているような臨場感があり、
民俗学に興味のない方でも、大変おもしろい本だと思います。


・・・私はその夜もまた徹夜で帳面を写したのだが−
そして私にはいささかの悲痛感があったのだが、外はよい月夜で、
家のまえは入海、海の向こうは低い山がくっきりと黒く、
海は風がわたって月光が千々にくだけていた。その渚のほとりで
宿の老婆は夜もすがら夜なべの糸つむぎをしていた・・・・



「忘れられた日本人」宮本常一著 岩波文庫
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posted by るちる at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 柴犬書房 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする